高齢者・老人・年寄り

最近の日本語の無味乾燥で冷たい事務的匂いがするのはなぜでしょう?
高齢者、老人、年寄り 
(言葉のニュアンスの違い)


人口の高齢化の著しい日本社会と中国社会の故だと思われるが、最近の日本と中国の新聞記事や出版物には高齢者に関する話題が多い。
 そこで思うのだが、この「高齢者」という言葉は以前の日本でも中国でもあまり使われていなかった言葉ではなかっただろうか。以前の日本では、この言葉を使う場合には、たいがい「老人」とか「年寄り」という言葉を使って、中国では「老人」という言葉をよく使っていたように思う。
 「高齢者」、「老人」、「年寄り」というこの三つの言葉のそれぞれの意味は、いずれも「年齢を重ねている」という内容を含んでいる。しかし各言葉の持つニュアンスは微妙に異なっているようである。この微妙なニュアンスの違いが日本語圏で暮していない者にして、理解が難しい。したがって、繰り返すが、各言葉の持つ微妙なニュアンスを把握し、表現した文脈に照らし合わせながら使い分ける必要が生じてくる。辞書だけを頼りに、これらの言葉を学んでも、それは生きた日本語とはならないし、またある意味で正しい日本語ともいえないに違いない。日本語の辞書の中からこれらの言葉を引いて、その解説を参照してみよう。

「高齢者」:年をとり、第一線を退いてから(久しい人)または人生を静かに観望する状態にある人。
「年寄り」:年をとった人、もしくは武家の重臣、大臭女中の重職、町村の組頭などすべて人の長であった人。        ・
「老人」:人生の盛りを過ぎ、精神的にも肉体的にもかっての逞しさの亡くなった人。

「老人」という言葉は、現代中国では語感も柔らかく、親しみやすい表現として使われていることが理解されよう。中国で使う「老人」という言葉は、古い時代から今日まで、その意味や語感が変化してはいない。

現在の日本語はその体系を未だ構築しつつある言語ではないかという見方である。日本の明治維新以前には、日本語はきわめて感情表現過多の体系ではなかったろうか。それは、短歌や俳句といった平安朝以来の詩歌の伝統を引き継いだものとして成立していたように思う。ところが、明治維新を契機に、日本は著しい西欧化を意図し、社会体系を様々な形で自ら変革した。もちろん、日本語もその例外ではあり得なかったはずである。かかる経緯において、日本語に最も強く求められた変革の要点とは、感情語から離れての抽象表現可能なツール、もしくは科学技術表現媒体としての用途であったと思われる急激な日本語変化の要因とは、まさにこの点であり、技術革新を意図する日本社会は、言語においても、科学技術表現体系を今日もなお構築しつつある言語だと言えよう。したがって、日本語においては、今後もしばらくは、感情的なニュアンスをできるだけ、削ぎ取った表現、つまり、「老人」から「高齢者」へ、という変化が追い求められてゆくに違いない。成熟した言語体系と科学的表現にも耐えて、かつ感情的な表現をも具備しうるものだと考えている。この意味からすれば、現代の日本語とは未だ発展途上にある言語とは言えないだろうか。

参考文献
 大連外国語学院(1980)
 金田一京助、金田一春彦(1972)
『新日漢辞典』 遼寧人民出版社
『新明解国語辞典』 三省堂
 李蓮花 劉麗芸
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