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昭和6年増田小学校

増田小学校校友大会が行なわれた昭和6年の写真です。覚えた方いるでしょうか。

増田小学校校友大会昭和6年ss
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忠魂碑竣工記念

真人公園大正6年8月忠魂碑竣工記念。
工事費壱千円。


真人公園忠魂碑竣工001s

増田の花祭り(昭和5年)

増田の満福寺の前で、昭和5年5月8日花祭り記念写真です。大勢子供たちが居たのですね。今のような満福寺本堂入口の屋根でなく禅宗様であったと思われます。旗は向かって右が日の丸旗と左は仏旗でしょうか。

花祭り昭和5年5月8日

本町千田洋品店あたり

撮影年代ははっきりしませんが、昭和初期であろうと推測します。本町通りを東から西方面に撮したもので、自転車のあるのが千田洋品店前です。今後電柱埋設がされるようですが、増田水電の電気が通ったのが特徴とも言える電柱が立っています。

本町千田洋品店前昭和初期

増田感恩講 紀元2600年記念行事

増田感恩講記念日紀元2600年10月19日の写真です。紀元2600年記念行事とは1940年(昭和15年)神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指します。

増田感恩講記念日紀元2600年10月19日、(1940年昭和15年)

吉乃鉱山(今は昔)

吉乃鉱山は秋田県平鹿郡増田町にあった鉱山でした。1720年ごろに発見されたと言われ黒鉱鉱山とも云われ、他に黄銅鉱、黄鉄鉱、重晶石などを産出。1957年(昭和32年)に閉山。1918年(大正7年)には国鉄十文字駅と増田町とを結ぶ吉乃軽便鉄道の事業免許を取得するものの、着工されることなく失効しました。これは別掲載の「幻の鉄道」に記載。

吉野鉱山

増田水力真人発電所(昭和初期)

今は遺構となっている増田水力真人発電所の昭和初期頃の写真です。 明治41年(1908年)松浦千代松を会長として、明治43年(1910年)に「増田水力電気株式会社」が発足しました。その年成瀬川を利用した水力発電所・真人発電所が完成し、明治44年(1911年)に発電を開始。『横手、増田の両町内に千百三十九の電灯が魔法のやうに煌々たる光を放って、両町民を魂消さした』(昭和9年秋田魁新聞掲載)とあります。
 1912年~1926年徐々に発電力を増していき、昭和初期には住宅4万戸以上に電力を供給するまでになり、北は旧阿仁町(現在の北秋田市)から南は山形県との県境付近まで送電していたとのことです。

■参考文献
・『秋田近代史研究 49号』 秋田近代史研究会
・『増田町郷土史』 


増田水力昭和初期
増田水電供給区域図6x8

古い感恩講の写真

現存する感恩講より時代の古い写真です。

増田感恩講002

郡制廃止(大正10年)

大正10年9月郡制廃止の記念写真です。その当時の郡議会議員の皆さんの記念写真ですので病気欠席等の方は上の○囲み写真に収められています。皆さんお名前のわかるかたおりましたら、お知らせ下さい。
この郡役所の建物は旧横手市蛇の崎橋から見えるところにあったのではないかと推測します。昔増田に出羽の郡衙があったとか、郡役人の駐在所があったとの話もありますが場所は定かではありません。しかし、平鹿郡名の発祥地は現増田町の小字名「平鹿」で、この地名の由来は成瀬川の河成段丘線崖にあったが語源です。


郡制廃止大正10年9月

水沢市と姉妹都市

増田町は古くから岩手県水沢市(現奥州市)と姉妹都市です。現在の横手市は旧町村単位の姉妹都市は存在しませんとの見解ですが、水沢市は奥州市になっても増田町との交流は続けています。特に今も増田の花火大会には奥州市市長から協賛いただき花火を上げています。横手市では協賛できないとの見解ですので、増田町観光協会長として水沢の花火に協賛しています。この写真は水沢線開通前後の交流が密接な頃のものです。1992年増田町役場前にて千田達二増田町町長(髭)と高橋忠八水沢市長(右の長身)が仲良く写っています。

1992役場前にて達二町長時代高橋忠八水沢市長と
プロフィール

増田町観光ちゃん

Author:増田町観光ちゃん
since1964
一般社団法人増田町観光協会
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でんわ: 0182-45-5541
編集責任者: 千田 孝八
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